毛利マークとの出会い 1964年~1966年
私は神戸・青谷にある松蔭女子学院の高校生でした。
クラブはESS(English Speaking Societyの略)に所属し、
校内で英語劇や外国について調べたり、
英会話に励んでいました。
校外では阪神間にある私立の学校 9校で
連盟を作って 弁論大会や共同で
英語の文集「The Picnic」を出版していました。
当時、クラブのバッジがなく是非欲しいと自分たちでデザインして
毛利マークに相談に行きました。
連盟の活動の時にバッジをつけて行きたかったのです。
2つ(2種類)作ったように記憶しています。
実物は数年前に母校に寄贈してしまいました。
あの頃、校章と共にクラブのバッジをつけるのが流行していました。
「The Picnic」を作る時は、
いつも文集印刷代の為の寄附をお店にお願いに伺っていました。
高校生のクラブ活動のためにご協力いただいたこと 感謝です。
今後もセンター街の毛利マークが末永く続くこと お祈り申し上げます。