毛利マークとの出会い 1955年ごろ
父・盛一が灘区に在住し、毛利マーク店の記念品類の文字彫刻やバッチの型彫りをさせて頂き、昭和30年頃(中学3年)から父の使いで毛利マーク店を伺っていた。
昭和31年から修業と同時に毎朝自転車で御用伺いに通いました。以後、カップ・トロフィー、楯、記念品など、また修理品、彫刻(手掘り)をしていました。
印象的な出来事 「アメリカの軍艦と彫刻をする日々」

昭和35年頃は、アメリカの軍艦が入港して毛利マーク店は大変賑わっていた。
カップ、トロフィー、楯などがよく売れていたので、彫刻も忙しく、一日に自転車で3往復したこともあります。お客様が急いでいたので、彫刻道具を持参して、店の奥の座席で出前彫刻したこともあります。
あるとき専務さんから「うちで働かないか?」と云われ、「彫刻の手伝いがあるから」と丁寧にお断りしました。
私にとっての毛利マーク 「よく面倒を見て頂いた、大切なお得意様」
昭和35年ごろから彫刻ができるようになったので、社長さん。奥様、専務さん、山田さん、山本さん方から大変喜ばれ、面倒を見て頂きました。
親の代から私までよくして頂きました。大切なお得意様でしたので、万難を排してお引き受けし仕事でお断りしたことは一度もありません。毎日伺っていましたので、お店での接客などよく教えて頂きました。
