毛利マークは、100年前に、なぜこの場所で創業したのか?私たちが祖父母たちに聞くことなくいつのまにか忘れてしまっていた歴史を、独自の調査と考察により導き出してくださった S.K.さんに「最も古いエピソードを寄せて下さった方」として、金バッジを贈呈いたしまし...
毛利マークとの出会い 1958年ごろ「バックル」を手に入れた時は天にも登る心地でした。価格はよく覚えていませんが、鉄地に金象嵌だったので値が張ったと思います。また、菊の花弁がデザインの大学のバッジは純銀製で80円(学生寮は一ヶ月3000円)今から56~57年前のこと...
毛利マークとの出会い 1958年毛利マークとの最初の出会いは小学生の頃、赤い羽根募金で赤く染めた羽根を胸につけてもらった際、兄が金属製の赤い羽根バッジを手に入れて来て、それを見た際にバッジの裏に「毛利」とあり、子供心に何の意味か判らないでいました。別のバッ...
毛利マークとの出会い 1969年1944年私は札幌の高校から、神戸女学院大学に入学しました。当時地方から来た、それも北海道からということで、物珍しく見られ、私も華やかな女学院の雰囲気にのまれていました。そんな時、友人の指にあれっと目につくものがありました。女学...
毛利マークとの出会い 1964年~1966年私は神戸・青谷にある松蔭女子学院の高校生でした。クラブはESS(English Speaking Societyの略)に所属し、校内で英語劇や外国について調べたり、英会話に励んでいました。校外では阪神間にある私立の学校 9校で連盟を作って 弁論大...
毛利マーク